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祖母が亡くなりました。

98歳でした。



日本に帰って来た時は実家で一緒にお寿司食べて

その後から入院して

面会制限もあって限られた中だったけど

その中でも沢山面会に行かせてもらえた事はとても有り難く幸せなことでしたね



祖母は頭のいい人で、最後まで全くボケておらず

なんなら私より記憶力いいくらいで

入院している間も沢山お話しが出来ました



マレーシアに住むと言うことは

親の死に目に会えない可能性があるということ



いつかの日記にも書いた気がするけど

それも仕方ないつもりでマレーシアに住むことを決めていました




日本に帰って来たのは

・仕事が辛くてやめたこと

・辞めたことで就労ビザが無くなったこと

・フリーランスとして活動できるように勉強すること



フリーランスで稼げるようにはまったくなれていないし

語学勉強もサボってばかりで

お金も貯められず

目的として来た事は殆ど達成出来なかったけど



おばあちゃんに沢山会えたこと

手を握って話ができたこと

ねこたに会ってもらえたこと

通夜と葬式に出てお見送りができたこと



マレーシアに住んでいたら出来ないことが沢山できたから

それだけでこの1年帰ってきた意味がある気がする



この先、家族や親戚が自分より先に旅立ってしまう時

同じような時間を過ごせない可能性の方が高い

実家の場所を考えると、急いで駆けつけても

死に目にどころか葬儀にすら間に合わないかもしれない

それを分かってマレーシアに行くのだから

仕方のないことだけど

やっぱりお見送りが出来るに越した事はないですね



おばあちゃん子なのでボロボロに泣いてきました

沢山の家族に愛されたばあちゃんのお骨箱を持たせてもらって

祭壇が出来るまでずっと抱えていました。



思い出すと泣いてしまうけど

あんまり泣いてたらばあちゃんも悲しむから

ちゃんとやるべき事を

これからの事をしっかりやって

じいちゃんばあちゃん達、早くに旅立ってしまった叔父さんに胸張って生きれるようにしたいね



沢山いる孫の中で、1番下の孫で可愛がられてたのもあるけど

孫達みんな大きくなって会いに来なくなって

泊まらなくなったことを寂しがっていた祖父母の為に

大人になっても泊まりに行ってたし

祖父が亡くなって、祖母が施設に行く前も

しょっちゅう家にお茶しに行ってたし

小さな頃から大人になってからもだいぶそばにいたから

おばあちゃん孝行出来た方だと思う



生きていくことは

歳を重ねること

大人になるってことは

人との別れがあって

そしていずれ私も死にゆくということだ



まだまだ道の途中

私はまだまだやるべき事があるのだから頑張らなくちゃ 



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